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2011年3月23日水曜日

恐怖ってこれ以上の何があるの?

仙台から多賀城市を抜ける、多賀城では車の大破した待ちが続く・・・
「津波で仙台港に引き込まれて、ここに打上げられたんだって」順平
普通に国道の横に何百台の大破した車、乗用車だけじゃない、大型のトラックまで
本当に本当に本当に、、、、映画の中のワンシーンのようだ・・・災害映画のセットの様な町
そこを普通に通り過ぎる車、自転車、どんな強い人でも「悲しくなる」光景だ
・・・小さな橋を渡ると 七ヶ浜町。
本当は普通に帰ってくるはずだった、
皆さんからの救助物資をこの町に置いてこようと思った。
順平に聞いて、浜沿いの被災者の皆さんが非難している小学校に向かった
初めて見る、生の体育館の避難所の中、、、、「ごめん、俺には無理かも::」と心でつぶやく。
本当に体育館に毛布をひいて、沢山の人が方を寄り添って生きている光景
「がんばって復興しよ」と心で問いかけてみた・・・。「どうしよう」って不安の瞳が沢山すぎて俺はすぐに後にした。。。ごめんね直視できない俺
避難所を後にして仙台の市街地に戻る
初めての町、ナビないから迷った・・・
あれ?これってさぁ家壊れていない?SATOの一言に周りが目に飛び込む。
そう、津波でさらわれた「地区に迷い込んでしまった・・・・」
一面一面一面、土砂、どろ、材木、コンクリートや木々や崩壊した家屋・・・
真っ暗で満点の星に照らされて、廃墟。
「怖い」本当の恐怖を初めて味わった、、、「怖い」「ここから離れたい」「怖い」のだ
テレビの画像の数万倍、比べられないくらいに「恐怖」が漂い、逃げ遅れた人の悲鳴がまだ聞こえる町。怖い怖い怖い・・・これを目の当たりにした被災者や被害者の苦痛は?本当に辛いだろうな。抜け出せない「恐怖の地区」をしばらく走りやっと明かりの見える町へ戻れた頃には二人して、悲しく辛い気持ちでいたのは事実。
今は「頑張れ」なんて声をかけられなくなった。「この現実をどう頑張るのさ”」って言われそうだ。
そう、現実はテレビの恐怖や悲惨な光景の数万倍よりもっともっと「辛く、悲惨」なのだ
「可哀相」「お気の毒」なんて俺は言えなくなった。
「怖いのだ」「恐怖」の塊。だから、どうしろって言うのさ・・・・
@避難所の被災者の瞳
@被災地の町の空気
本当のこの震災の恐怖を今日俺は味わった。いや、わからなかったのかな。
「被災者の皆さんが味わった恐怖を俺はきっと、わからないと思う。今日俺が味わった恐怖の何万倍もの恐怖だっただろうな。でも、俺は非力でも亡くなった方の冥福を祈ります」
大好きな人を失った方の「早く安らげる心が戻るのを祈ります」
昨日までドラマのあった町並み。
早くまた、新しいドラマが始まるのを俺は祈りながら暮らします
そして、俺が天に召される前にもう一度、必ず訪れますね
祈ります。あの、町にも一度
ドラマが始まりますように

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