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2011年4月20日水曜日

南三陸の報告その①

日曜日の真夜中・月曜日に変った時間に千葉県の柏を出発
田代先生からの消臭消毒液・疎開支援の会(柏・我孫子)の沢山の支援
そして、柏タイ料理ThaChang・仙台タイ料理Thachangのゲストからの支援物資を沢山。
皆さん「少しでごめんね・・・」の謙虚な言葉ですが「沢山のおもいやり・愛情」が入ってます
それが大きな「救援物資」の塊になりましたw本当に、運び人Taは幸せですよ。
「ありがとう」を独り占めしてごめんねw
。。。。。。。。。。。眠ることも出来ないで高速を走る、荷物が多くて車が重いのです。法定速度で仙台・午前6時半に「菅生SA」で少し休憩・朝ごはん。夕飯だった、おなかは減ってましたが食べたら眠くなるからさ、仙台までは「空腹ドライブ」でしたw
お友達って言っていいよね「鎌田さゆり」ちゃんと待ち合わせ。元衆議院議員の先生。いいのかな・・友達なんて。許してね。合流して@南三陸町へむかいます。この町は皆さんの知っている通り
町全体が津波にやられた町です、町長さんがアンテナにつかまって助かった町。ここは、仙台ThaChangの仲良しゲストのHさんの故郷であることからThaChangはここを救援しようと決めたの
だから、皆さんの「物資」はここに届きましたよ。
仙台からこれまた遠いのよ。笑。石巻を通過してから三陸道。終点まで行って山道。
山道の途中から少しずつ景色が変ります。
津波が川を伝って、山の間を襲ってきたそうです。想像できませんよね。山の谷を家よりも高い波が来るんだよ~。映画の世界だよね・・・・

これが防災センターのビルの後
ここでも沢山の職員の方が犠牲になったそうです。
さいごまで「警報」を言っていた女性のかたもここで亡くなったそうです
屋上のアンテナが町長と少しの職員を助けたアンテナです


瓦礫はすこしずづ片付けられているそうです。
自衛隊の皆さんに「お疲れ様」ですよね
沢山の警察官・消防士・自衛隊の方が瓦礫の撤去・行方不明者の捜索をしておりました。
ナビゲーターのHさんのご自宅へ向かいまずはお父様(Hさん)と合流。
山のおかげで津波は来なかったそうです。立派なご自宅に感動ですよ。「旅館」みたいでした。
Hさんは南三陸町で会社を経営されるご一家。津波で会社は全壊跡形も無くなっていたそうです。
「また一から始めますよ。もう仕事も少し来てるから」明るいお母さんには頭がさがりました。
お父さんのナビで町の中を視察・救援物資を運び入れたのは「南三陸町のスポーツセンター」ここは、町長はじめ町の現在の中枢部です。沢山の整理された物資。沢山のやさしさが詰まっていました。テレビでお馴染みの食堂の女将さんが仕切っていました。っ皆、係りを決めて生活をしているそうです。
さゆりちゃんのお力で「町長」との会見が可能になり14時半から会談が可能になりました。
すごい流石です。
TAは柏・我孫子「疎開支援の会」のメンバーとして「柏への一時疎開」の話を町長に持っていきました。一時的にでもプライベートを守れて、子供も学校に行ける。お年寄りが心配なく住める部屋の提供。これが目的です。


忙しい中わざわざ「疎開支援の会」の話を聞いてくださった佐藤町長さんです。町長さんから
「知らない土地への一時避難とはいえ、大きな決断です。柏の皆さんの協力に感謝します。実は先日流山に企業見学に行って来て、柏の駅前に宿泊したんです。大きな町で疎開するにはいい場所だと思います。詳しい非難場所の住所・近隣の施設・何世帯が一緒のエリアに疎開できるのかを早急にお知らせください」と言う言葉を預かりました。よろしくです。
怖いもの知らず。これがTAですね。「心の扉をノックすると、町長の様な立派な長は応えてくれるのです。本当に本当に時間を割いてくれて感謝します」
で、この防災本部で発見。われらが「倉重先生」(ThaChangカレンダーのイラストレーター)のカレンダー2011年度版だよ。ThaChangと同じだ。縁ですね円ですねサークルオブライフです

これがそうです。

ThaChangと繋がっていますね

倉重先生は今回の南三陸町への荷物を一緒に取りに行きました。

一緒に車に積めました

凄い円です縁です。


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